2011-03-14
_ 今回の震災に関して覚えていることを列挙
どうにか落ち着いたので、今回の震災について覚えていることを記録しておこうと思う。- 11日午後、NIIでの情報爆発シンポジウム最終日のポスターセッション時に地震発生。大きく揺れたもののパネルが倒れるほどではなく、議論を続ける人も多かった。
- 会場の窓から見える高速道路では、車がストップ、しばらくして動き出したが、その後高速は封鎖された。
- 地下鉄、JR、羽田空港など交通網がほぼストップ。
- 携帯電話間、携帯から普通電話は各社不通のなか、Willcom同士の通話だけは可能だった模様。公衆電話も生きていた。
- 有線のネットは無事だったため、skypeでの通話は可能だった。3Gは不通のなか、Wimaxは生きていた。b-mobile、e-mobile等は不明。
- 4時からのパネルセッションでパネリストだった暦本さんは、ゆりかもめが止まったため、歩いて会場に来る羽目に。iPhoneで地図が見られないため、コンビニで紙の地図を買うはめになったとのこと。どんどんアナログになって行ったとの談。
- 4時半から5時半くらいにかけ、飛行機、新幹線は動いているとの情報から、東京駅を目指して歩く方々が出はじめる。
- ホテルの予約は比較的すぐにいっぱいになった模様。ちょっと迷っていたらあいていたところがいっぱいになっていたとは、河口さんの談。
- 研究室メンバーにサーバ群を見てもらったところ、ラックがずれていたが、動作には問題なし。松岡さんからは、TSUBAMEは耐震工事したばかりでまったく問題なくサーバルームにいるのが一番安全かも、との談。
- ustreamでNHKが流れるようになったので、大会議場でそれを放映していた。
- 神保町付近は、歩いて避難所か帰宅する人々でごったがえし。道路はぎっしりと車で埋まり、ぴくりとも動かない状況。夜まで混雑が続いた模様。
- コンビニからは食料がほぼ全滅。アイスクリームやヨーグルトなど冷たいものは結構残っていた。
- 学士会館のレストランはあいていたようで、先生方が食事を取っていた。飲み屋でも簡単なものは出してくれていたよう。ファミリーレストランは全て閉まっていたとのこと。
- 深夜になって、都営地下鉄や東京メトロが動き出した。当初は猛烈な行列でまともに乗車できなかった模様。深夜2時ごろに、渋谷に移動したが、半蔵門線は座れるくらいすいていた。
- 明朝、某県にある自宅への路線は、帰りそこねた人たちで殺人的な猛ラッシュ。いきどまりから戻るなどしていたら、結局朝の5時から12時まで7時間かかってしまった。
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